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『永遠の0』を読んで、祖父の軍歴を調べ始めた話

2013/9/2 - 歴史・伝統IT , Japan , Tradition , Book , Pacific War

20130903s

年末には、映画が公開される『永遠の0』

「いつか読もうかな」程度に思って先延ばしにしていたこの本、今年になってじっくり読む機会がようやくやってきました。
話題になっていることは知っていたものの、ゼロが何を意味するか興味もないままに読み始めた のですが・・・。

『永遠の0』を読んで、祖父のことを考えた

それまで何となくしか知らなかった、太平洋戦争の過酷さや戦地に赴いた人の実態。この本を通して、記録映像や映画以上に実感を持って知ることが出来たし、尊い犠牲の上に今の日本があることを再確認できた作品でした。
専門用語が多いものの、戦争の歴史を深く知らない人にとって、ちょうど良い入門書になるのではないかと思います。

何よりも気持ちが高まったのは、ぼくの祖父も陸軍兵だったことです。
それも、祖父が生きて帰ったお陰で、今こうして生きている という現実です。

祖父は、帰還した年(1946年)に祖母と結婚し、
翌年娘(母)が生まれ、後年孫(ぼく)が生まれ、ぼくには今0歳の息子がいます。
これまであまり意識せずに生きてきましたが、多くの日本人が同じような経歴の上に生きているのでしょう。

たった68年前、祖父はどんな状況で戦い、どうやって生き延びたのか。
『永遠の0』ほど、華々しい話なんて無いだろうけれど、
これから時間をかけて、少しずつ調べたいなと思ったわけです。

祖父と戦争について分かっていること

母方の祖父は、大正9年(1920)生まれ。
家は茨城の片田舎で、埼玉や栃木に近い県西地区です。
10年ほど前に亡くなり、戦争のことはあまり話してくれませんでした。

祖父は骨ばった体格で、今にして思えば、かつて軍人だったような佇まいでした。
でも、細めなのに力強いその姿からは、どんな経験をしてきたかは想像できませんでした。

家族に聞いても、「満州に行っていた」というくらいしか軍歴は分かりません。
いずれ、軍歴証明書を取り寄せようと思っていますが、その前に現時点で分かることを列記しておきます。

母が聞いている出征の話

まず、母によると、出征に関することは

  • 宇都宮駐屯地を基地とする部隊に所属
  • 所属は、第14師団または第51師団という名称だった
  • 1940年に満州に渡った
  • 足掛け7年間、陸軍兵として勤めた

という風に聞いているようです。

7年間陸軍にいたということは、おそらく1939年か1940年に、19歳か20歳で陸軍に入ったことになります。
満州に行った、というのは聞いたことがあったので、ずっと満州にいたと思っていたのですが、この師団名を調べてみると少し認識が違うことが分かってきました。

第14師団か第51師団 というのは、あいまいで分からないだけなのかと思ってたといころ、どうやら第14師団を元にして第51師団が編成されたようなのです。
しかも、この時期、第51師団はにニューギニア戦線に転用されて、満州からラバウルへ向かったと記録されています。

ラバウルと言えば、確かよく名前を耳にする悲惨な戦場だったはずです。
さらに「宇都宮を駐屯地としている」ということから、第51師団の歩兵第66連隊か、あるいは102連隊 に所属していたかもしれないと分かってきました。
そうなると、この連隊の戦歴を検索してみるに、南方戦線で輸送中に壊滅したり(ダンピールの悲劇)、餓えに苦しみながらゲリラ戦を展開したりと・・・極限の中を生き延びたことになります。

参考:ラバウル復員兵「食料尽きカエル、ヤモリ、ヘビまで食べた」

戦地の状況と帰還の話

祖父からは、どこに居て、どんな戦場だったかというお話は、一度も聞くことができませんでした。ただ、たった一度戦争の話をせがんだときに聞けたのは

  • 仲間と野営をしているとき、手榴弾が飛んできた
  • すぐ隣に居た仲間が吹き飛んだ
  • あんな思いはもうしたくない

という、九死に一生を得た体験の話でした。
さらに、復員については、

  • 帰還したのは1946年3月頃
  • 戦地から帰還できた人は少ない
  • 戦地でマラリアのような病気をもらってきた
  • 帰還後10年くらいまでは、1年の半分は床に伏していた

という状況を母に話しています。

ゲリラ戦の最中のような体験をしたこと、帰還が難しい戦場だったこと、マラリアに罹っていたことを考えると、やはりニューギニア方面の南方戦線に居たのでしょうか。

戦後の話

戦後、茨城に戻ってからは、農業で穏やかに暮らしていました。

  • 帰還後まもなく、1946年4月末か5月に結婚(翌年、娘が誕生)
  • 傷痍軍人として定期的に診断を受け、見舞金をもらっていた
  • 一緒に帰還した、和歌山の北ぶらくり丁の藤井一二三さんと親しかった
  • 1959年頃、藤井一二三さんが家に訪ねてきた
  • 老年になって、一度は和歌山のぶらくり丁に行ってみたいと言っていた

この藤井さんという方については、所属などは一切分かりません。
晩年は体調を崩し、ぶらくり丁を訪ねられなかったのが、心残りだったのではないでしょうか。

厳しい戦場から帰還できたこと


祖父がわずかに語った話からでは、今のところここまでしか分かりません。

『永遠の0』の宮部とは違い、徴兵で陸軍の所属でしたが、相当に死を間近に感じていたに違いありません。
祖父が臆病だったのか、盲目にも果敢だったのか、それどころでは無かったのか、今では知る由もありません。

でも、祖父が帰還できたお陰で、ぼくや息子が生きていることを思うと、祖父が多分懸命に守った命との繋がり を大切にしたいと思えてきます。

調べ始めてから、当時の歩兵第66連隊がどんな戦いをしたかなどの、いくつかの古い本が手に入りました。
今後、軍歴証明書を取れば、もっと詳しい軌跡が載っているかもしれませんので、これらの書籍と併せてまた記して行こうと思います。

コメント

  1. より:

    たまたま私も祖父の戦歴を・・と思ってgoogle検索したら
    ここにたどり着いた。
    記事 読んで面白かったよ。

  2. Katakura より:

    あ 様
    コメントありがとうございます!
    今思うと、存命のうちにいろいろ聴いておきたかったです。

  3. くくちゃん より:

    ブログを読んでいたら、大正9年生まれで1940年陸軍入隊、1946年復員というところが私の父と
    同じだね。父は第五連隊で仏印国境、上海、マレー半島、インドネシア、等を移動し1943年には現地
    でマラリアにて野戦病院に入院している。復員は1946年6月に名古屋港でした。

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